【第8回日本語ジェンダー学会シンポジウム】
中国語の「呼称」表現とジェンダー
―中日対照の視点から―


曹大峰
1.はじめに
 「呼称」という専門用語は、『日本語学』9-9の「呼称」特集以来、「話し相手に直接呼びかけたり言及したりする語」を指すものとして定義がほぼ確立されているが、「呼格的用法(vocative use)」と「代名詞的用法(pronominal use)」という二種類の言語行動にわたる定義である(国広1990)。中国語では「称謂」という用語で日本語の「呼称」にあたる意味を指し、「称呼」という用語で「呼格的用法」を指すことが多い。そこで、今回の考察はとりあえず「呼格的用法」つまり話し相手に直接呼びかける表現にポイントを置く。
 話し相手に直接呼びかける呼称表現はコミュニケーション活動に頻繁に見られる汎言語現象として、言語主体と客体の関係を示すばかりでなく、その言語の社会的文化的心理的特徴が反映されているものである。本稿では、ジェンダーという主題を取り込み、中日対照の視点から中国語の「呼称」表現の諸現象とその特徴を振り返って見たい。

2.親族呼称
 親族関係は人間関係において最初に形成するものであり、最も基本的な関係である。その意味で、親族の間で呼びかけに使われる呼称もその基本的な性質があると考えられる。
 中国語の親族呼称は特に種類が多く、中国人でも使い分けに戸惑うほど表現が複雑である。下表の中日親族呼称比較表から察知されるように、性差による呼び分けは日本語と同じところが多いが、ただ、母方の親族は「外」や「表」など別扱いにされているのが異なるところである。血縁関係が大事にされ代々の家系を継ぐべき男の存在が重く見られたためだといわれている。これは親類関係における一種の中国語特有なジェンダー表現といえよう。


 また、夫婦間の呼びかけにおいては、下表のように子供を中心にした呼び分けは日本語と同じだが、家庭での役割意識による呼び分け「当家的(家主の意味)」は中国語にしか現れず、指示代名詞による呼び分け「あなた」は日本語にしか現れていない。また、中国語の「老公」や「老婆」など夫婦間で呼称として使われているが、日本語の「夫」や「妻」は夫婦間で使われないようである。ここからも両言語のジェンダー表現の異なりが見られるのである。

  中国語 日本語
①名前
②孩子他爸(爹)
③当家的、老公
①あなた
②名前(さん)
③パパ、お父さん
①名前
②孩子他妈(娘)
③老婆
④欸、喂
①名前
②ママ、母さん
③おい

3.社会呼称
 社会呼称というのは、親族以外の社会の場において話し相手に呼びかけるのに使われる呼称表現である。われわれの社会は国家や民族や地域によって通念や習慣が異なっており、そこの人間も時代や年齢、職業や身分などによって思考や行動の様式が様々であるので、相手に呼びかける際には様々な表現が使われている。そのような表現にはジェンダー表現も当然ながら現れている。
 下表はプライベートの場面で見知らぬ人に使われる呼称表現の中日比較表であるが、親族呼称の借用(虚構的用法)で男女別称が中日両言語に共通に見られるが、中国語では老・大・小と姓の共用による虚構有標化や年齢区別などあるのに対して、日本語では虚構無標化と「ぼく」など指示代名詞の活用などが異なるところである。また、自分より下の世代の人への呼掛けでは、社会的属性である身分などに呼称が変わっていくのが中日両言語に共通に見られる現象だが、「小伙子(若衆)」と「小姑娘(娘さん)」のような男女別称の表現は日本語には「娘さん」しか見られない。

話者との関係 相手の性別 中国語 日本語
祖父母と同世
代の人に
老爷爷、老大爷、姓+爷爷 おじいさん、(おじいちゃん)、おたく
老奶奶、老大娘、姓+奶奶 おばあさん,(おばあちゃん),おたく
親と同世代の
人に
大伯、大爷、伯伯、大叔、叔叔 おじさん,だんなさん,おたく
大婶、大娘、大妈、阿姨 おばさん,おかみさん,おたく
自分と同世代
の人に
大哥、老兄 お兄さん(あなた),おたく
老弟、小弟弟 お兄さん(あなた)君,おたく
(未婚者或は既婚者)大姐
(既婚者)大嫂(嫂子)
夫の姓(名前)+嫂,嫂夫人
お姉さん(あなた),おたく
小妹妹、大妹子、弟妹 お姉さん(あなた)
自分より下の
世代の人に
小同学、小朋友、小伙子 君,あなた,学生さん,ぼく(小学生以下)
小同学、小朋友、小姑娘 娘さん,君,あなた
(劉柏林「中日の社交呼称について」より)


 親類呼称の借用による呼称はある種の親しみを感じるもので、プライベートの場面でよく使われるのだが、やや改まった場面や社交の場になると、中国語では「(老)同志」「(老)师傅」「先生」の一般的な呼称が使われ、「小姐」「女士」「夫人」など女性向けの呼称も使われている。日本語では「お嬢さん」「オネエサン」「奥様」が使われ、「女史」は呼びかけに使われないようである。
 特に、「小姐」(「小さなお姉さん」の意)という若い女性向けの呼称は、①遊郭で働く若い女性を呼ぶ語(宋の時代)→②使用人が主人の娘を呼ぶ語(清の時代以来)→③相手の娘に対する尊称→④未婚の女性に対する尊称→⑤店やホテルの服務員などサービス業に従事する若い女性に対する呼称というように、親族呼称から虚構的に特殊職業に使われた後に一般化され広く使われるようになってきたのだが、最近、また⑤のように一部の所では特殊職業(ホステスなど)での使用に戻り、④の場で呼ばれるのが嫌われるようになったなど、社会現象が映る中国語の一事例として注目されている。ちなみに、日本語では中国語と違って上記②の場はお嬢様→③の場はお嬢様・お嬢さん→④の場はお嬢さんといった社会的呼称の使用と、⑤のようなオネエサンというプライベート的な親族呼称の虚構的転用が対照的である。
 また、中国語では、初対面以外の場では姓+名、苗字または名前に「同志」「师傅」「先生」「小姐」「女士」をつけたり苗字の前に「老・大・小」をつけたりして、人間関係や年齢、場面などにより多くの呼び分けが見られるが、そのなかに「小姐」「女士」など女性向けの呼称が明確に用意されている。それに対して、日本語では「さん」「ちゃん」は女性向け、「君」は男性向けといっても、場合によってどちらも使えるという不明確の一面もあるようである。つまり、場面依拠による呼びかけの曖昧さの現れであろう。

4.まとめ  以上、中国語の呼称表現の「呼格的用法」とジェンダーの関連について、中日対照の視点で一部の現象とその原因を概観してみたが、要点としてまとめてみれば、次のようになろう。
  1. 血縁意識や世代意識などの伝統観念により、中国語の親族呼称も社会呼称も日本語に比べて複雑で有標的な表現が多い。
  2. その複雑さは性差において、親族の父方母方の分別、夫婦呼称の役割明示、目下呼称の男女明確化など特徴ある表現として現れた。
  3. 中国語に比べて、日本語の呼称表現には無標的な転用表現が多く、性差の表現もプライベートな傾向と曖昧さがある。それは日本語独自の家意識や場面依存心理によるものだろうと思われる。
(2007/11)

参考文献
国広哲弥 「呼称」の諸問題『日本語学』9巻9号 明治書院 1990年
劉 柏林 中日の社交呼称について『言語と文化11』愛知大学語学教育研究室2004年
劉 柏林 中日の親族呼称について『言語と文化5』愛知大学語学教育研究室 2001年
樊小玲等 “小姐”称呼语的语用特征、地理分布及其走向 ≪语言文字应用≫04-4 2004年

曹 大峰(CAO Dafeng) 北京外国語大学教授

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